発達障害や学習障害を考える 追記あり

2018.05.04 Friday

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    たいした内容ではない、独り言のような記事です・・。

     

    どんぐりを始めてから感じていたことではあるのですが、どんぐりに取り組んでいる人たちの中で、「発達障害」や「学習障害」は家庭環境が悪いからそうなっている、と思っている人が一定数いるのかな?

     

    なぜそう解釈されてしまうのかというと、環境設定のことや、メディア漬けの最近の世の中に警鐘を鳴らす意味合いで発信している指導者や保護者(?)がいらっしゃるからなのかなと思うのですが。

     

    ここで大きく世間一般でも誤解されているなあと感じるのは、発達障害を「問題を起こす子ども」だというある種の共通意識があるのではないかな、という部分です。

    確かに自分の子どもがそういった診断を受けるような環境にいなければ、どこかで見聞きした情報をそのまま当てはめてしまうことはよくあることだし、ここはどんぐりに取り組んでいるいないに関わらず、大きく誤解されている部分なのだろうな、と思います。

     

    発達障害という名称がイマイチなのは置いておくとして、自閉っ子や多動っ子、学習障害児の状態を「病気」と考えているとすると、それを治すべき、そもそもそれを悪い状態だと捉えているということになるのだよなあ、と感じます。

     

    さて、我が家の話。

    息子が診断をされたのが5歳のとき。(発達障害、という診断名はありませんけども。)

    その時に、「もしも発達障害が治る薬があったら飲ませるか?」

    と、勝手に自分の中で考えたことがあります。

    答えはノーです。

    この子がこの子ではなくなるから。特性も含めて凸凹も含めておまめくんだから。

    これは治すものではなく、自分らしく社会の中で暮らしていけることを目指せばいい。

    世の中も多様性を認め合う感性は大事だし、当事者も相手のことを考えてお互い認め合うことが大事だと、そんな風に私は感じました。

     

    学生の頃、アルジャーノンに花束を、を読んだ時の衝撃は今でも忘れられませんが。。読んだ後、大変悩んだものでした。

    自己とは何か、幸せとは何か、頭がいいとは何か、そもそも認知が上がることが素晴らしいのか??

    息子が診断を受けた時に感じたことは、あの時に悩んだ感覚に近いもにがあったと思います。

     

    周囲から浮いてしまって集団に馴染めないこと。

    覚えたくても九九を覚えられなかったこと。

    字を書くことが苦痛で、綺麗な字など書けないこと。

    漢字やローマ字の綴りが覚えられないこと。

    これらを「発達障害や学習障害」を理由に、親の責任ではないと診断があることを喜んだことなど一度もありません。(そんな人いるのかな?)

    かといって、私に場合は、何が何でも治すと躍起になったこともないですけど。

     

    どんぐりを始めた理由は、高偏差値を求めてのことではないし(興味が全くない)、こんな風に育ってくれたらいいな(例えば発達障害が治って普通の人(??)になるとか、勉強ができて毎日学校に楽しく通って部活も頑張って友達もたくさんできるとか、偏差値の高い学校に行けるとか、まあ何でもいいのだけども)と思って始めたものでもありません。


    もともとは、勉強への不安を取り除いて、学ぶことを面白いと思ってくれたらいいな、みんなと同じように学習ができないとしても、大きな劣等感を抱かずに育ってくれたらいいな(勉強が苦手なことは悪いことじゃない。そんなことで人間の価値は決まらない)、そんな理由で始めただけなのです。

     

    どんぐりへの取り組みも5年目になりましたが、時々モヤモヤした気持ちになるこちがあるにで、昨日はおまめくんと、初めてそんな話をしてみました。

    もしも、「「こんな風に育って欲しい」と思ってどんぐりしたとしたらたらどう思う?」と私が言ったら、

    おまめくんは

    「子どもは実験動物じゃないからね」

    と即答。

    おまめくん曰く

    「そんな理由だとしたらすぐにでもどんぐりやめたい気分になるけど、どんぐりで自分が出来上がるわけじゃないし、どんぐりで人生が決まるとは思えない。だからそう言われても気にしないかな。でも、どんぐりを始めて頭がスッキリするようになったから、どんぐりを家庭学習にしてくれたのは嬉しいと思っている」

    と、私のモヤモヤを払拭してくれることを言っていました。

    6年生にもなると、いろいろと語れるので面白いな。

     

    話を戻しますが、発達障害も学習障害も、病気でも悪いものでもないと私はやっぱり思います。

    世間の人たちが誤解しているのは、2次障害の部分。ストレスで、問題行動を起こしてしまっている、その「問題行動」を発達障害だと理解しているのではないか、との懸念があり。。。

    必要なのは正しい理解、多様性を受け入れる社会、差別につながる偏差値至上主義をいい加減捨てること、あとは偏見につながるような意見があればそうではないと自分なりの意見を発信していくことも大事だなあとも思ったり。

    もちろん、もともと特性のある子にメディアの刺激なんて与えたらどうなるかということも、もっと認識する必要もあるとも思うのですが。

    もともとの特性は生まれ持ったもの、でも環境によって変化はある、ということなんだと思うのです。

    変化とは、定型発達の子に近づくということではなく、過度なストレスを受けない状態か、その逆に過度なストレスを受けて問題行動を起こしてしまうか、の部分の変化という意味だと思っています。


    そして、診断を受けて喜ぶ親はいないと私は思います。

    診断を受けて安心する親、救われる親はいるかもしれません。それは自分への言い訳ではなく、これまで育てにくい子どもを育ててきた長年の辛さの理由が分かったからなんだと思います。

    家族にしかわからないいろいろな葛藤を知らず、外部から憶測でものを言うことはやっぱり許されることではないように思います。


    場合によっては、親の都合で子どもを追い詰め、メディア漬けにして、最後に発達障害という診断という流れもあるにはあるのかもしれません。でもそういう親を批判するだけでよいのだろうか?

    もしも表面上に現れないまでも子どもを誘導して思い通りに育てた場合に、子どもの時には発達障害のようにはならなくても、その子が大人になっから自分の人生を生きられなかったことに苦しむ場合もあり得るわけで、前者、後者の違いはないのではないかと思うのですが。

    批判ではなく、常に自分がそのようにしていないか、子どもを思い通りにしたいと思っていないか、を考えるべきなのかもしれないと思ったりするのです。

    方法がどんぐりであっても、副作用がないからと言って子どもを親の思い通りに誘導することは問題ないのか?これは常に考えて気をつけていかなければいけないのではないかと思います。

    子どもの育った姿や理想の子ども像をできるだけ具体的にイメージしないこと。具体的にイメージすればするほど、子ども(人間)の良い悪いを選別してしまうのではないかと怖くなっていきます。

    発達障害も学習障害も、悪いものではない。問題行動は子どものSOS。常に意識していかないと危ないな、と思います。


    まとまりのない文章で恐縮ですが・・最後に個人的に、発達障害について書かれていることで共感する記事をリンクします。

    森へ行こうのしの先生の記事です。そういうことだよね、と私は思います。

    発達障害と異文化コミュニケーション

     

     

     

     

     

     

     

    サボテンの花

    2018.04.18 Wednesday

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      今日の学校からの先生のお手紙に、

       

      「今日は国語の「サボテンの花」で、サボテンの強さや生き方を学習しました。その後風船で遊んでいると、「風船もサボテンの生き方と共通する所がありますね」とおまめくんが言っていて、「サボテンの花」の中の伝えたいことをしっかりと掴んで話をしてくれました。しっかり読み取っているなあと感心しました」

       

      と書いてありました。

       

      サボテンの花ってどんな話だっけ?と思って国語の教科書を読むと・・・。

      深い話でした。

      しかも、やなせたかしさんだ!!!

       

      乳幼児の頃から決してアンパンマンに興味を持たなかった珍しいおまめくんではありますが、意外にもおまめくんの尊敬する人の1人として、「やなせたかしさん」がいます。

       

      やなせたかしさんの原作の「あんぱんまん」や、「やさしいライオン」という絵本が大好きだからなのですが、おまめくんはよく「やなせたかしさんからはいつも「強さと優しさ」を感じる」と言っていました。

       

      6年生の最初の国語の授業で、尊敬するやなせたかしさんのこの文章。

      授業が終わっても、きっとサボテンの生き方についてずっと考えていたのだと思います。

       

      そうか、おまめくんは(風船バレーで)宙を舞う風船にサボテンの生き方を見たのか。

      先生には、「風船は流れに身を任せているように見えるけどそうではなくて、戦うように生きているようにも見える。(風船バレーで)人に打たれているけれど、そこに人を楽しませたいという優しさを感じるので、サボテンと共通している感じた」というような話をしたそうです。

       

      先生も、おまめくんのこのような発言を、私にお手紙を書いてくださるほどに共感してくださってありがたいな、と思います。

      きっと昨日の国語Bで苦悶する様子も先生は見ていたので、今日のおまめくんの発言で、昨日何も書けなかったのはテストの内容が読み取れていないわけでもなく、自分の意見がないというわけではなく、頭の中の言葉を文字に落とし込んで書くこができなかったんだ、と思っていただいたのかもしれません。(だからわざわざそんなエピソードを書いてくださったのかも・・と思いました。)

       

      今日おまめくんが風船の中に感じたサボテンの生き方は、おまめくんの心にきっと残り続けるのだろうな。

       

      やなせたかしさんの「あんぱんまん」や「やさしいライオン」から、やなせさんの強い信念と深い愛を感じとって共感を抱いていたらしいおまめくん。私としては、なぜやなせたかしさんが尊敬する人物に上がるほどに好きなの??(アニメのアンパンマン嫌いなくせに〜)と今まで不思議でならなかったのですが、このサボテンの花を読んで納得しました。

      おまめくんはこれを読んで、さらに尊敬の思いを深めたのではないかと思います。

       

      6年生の最初の国語の授業がこの文章でよかった。

      生きるということを、おまめくんなりにしっかりと受け止めて、これからも考え続けていくことでしょう。

      最終学年の6年生になった新学期、元気に過ごしています。

       

      全国学力テストに思うおまめくんの課題

      2018.04.17 Tuesday

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        おまめくんは6年生ですので、4月17日に全国学力テストを受けました。

        知らなかったんだけど、どうりで始業式の次の日にいきなり「理科の復習テスト」だったのでなんだ??って思ったんですが、そういうことだったのですね。(新学期初日だったため、おまめくんは疲れて復習テストは受けなかったと言ってましたが)

        どうやら普通学級は、過去問ラッシュの先週だったようでした。

         

        そんなこんなで本日受けたテスト。

        国語Bと算数Bが壊滅的だったようで、おまめくんの課題が浮き彫りになりました。

        (ちなみに、国語A、算数A、理科は大きな問題はなかったようでしたが・・・)

         

        国語Bはほぼ記述だったようでした。

        書くことが困難なおまめくんには厳しいですね。頭の中で分かっていても文字に落とし込めず、固まってしまったとのことです。なのでほぼ空欄とのこと。

         

        そして算数B。

        最初の2問は問題なかったようですが、3問目のグラフの問題が相性?が合わない文章だったらしく、目眩を起こし、頭の中が気持ちが悪くて倒れそうになったと言っていました。

        その問題は結局は飛ばしたけれど、その後の問題も手がつけられなかったという。

         

        おまめくんからそんな話を聞いたので、問題見れたらな〜と思っていたら、問題がネットに掲載されておりました。

        とりあえず毎日新聞の記事をリンクしておきます。ご参考までに。

         

        問題を見ることができたので、算数Bを一緒に見てみたところ、私が音読すれば問題なく解答できていました。

        混乱したグラフの問題以降の、規則性を見つける問題(九九表と折り紙の輪っかの問題)は、読み聞かせなくても問題なく正答していました。最後の輪っかの色の問題などほぼ即答でしたから・・。

        しかしテストのときには取り組めなかったのだから空欄です。テスト結果は最初の2〜3問ができていたとして、20〜30点くらいなんでしょう。

        (せめて、そのように相性の悪い問題は読み込まずにさらっと飛ばして、頭が混乱する前に次の別の問題に取り組む、ということは現実的に改善できる方法の一つだと思います。)

         

        これについての考察はテスト結果が出てからもう一つのブログの発達マイノリティのところで詳しく書いていければいいかな、と思ってはいるけれど、おまめくんは「ディスレクシア」で間違いないな、と思った今回のテストの様子。

        おまめくんは読書も好きで、長い小説なども読みますが、おそらく全体をイメージで読んでいて普通の読み方ではないのだと前々から思っていました。

        (ディスレクシアの人でも読めるようになるようですが、全体のイメージで読んでいることが多く、むしろ長文や物語文なら読める場合があるそうです。読み方を自分で習得するのは大人になってからという人もいるし、子どもの時から独自に習得する場合もあるようで、子どものころに独自の読み方を習得した場合は、一見読めているように見えるので「隠れディスレクシア」と言ってなかなか見つけられにくいようです。)

         

        どんぐりをやっていてもこの部分は改善されるわけではないので、理解力とテストの点数のミスマッチは今後も増えていくだろうし、今後の大学入試制度改革は記述の問題が増えていくようなので、ディスレクシアの子にとってさらなる困難が想像できます。

        おそらく大学や勉強というジャンルから離れた人生を送る方が幸せかもしれないな、と真剣に思ったりもしています。

        本人がアカデミックな分野に進みたいと強く思えば、困難を覚悟しても進むしかないのでしょうけどね。そうでないのなら別の道が良いのでしょう。

         

        隠れディスレクシアは、こちらのon dyslexiaというブログが参考になりますので興味のある方は読んで見てくださいね。

         

        学習はどんぐりだけでも大丈夫!という記事を書き続けていたので申し訳ないテスト結果になりそうではありますが、この結果が悪かったとしても、私は学習には躓いていない、とやっぱり考えてしまうと思います。

        読み書きの困難さについては、学習の躓きというか、問題は少し別のところにあると思っております。

         

        夏に結果が出たらまたご報告しますね。

        あ、家庭学習にどんぐりだけ!!っていう我が家がひどい成績だったら不安になる方続出・・??だとしたら申し訳ないですが。

        しかし、ありのままを書くまでですからね。

         

        ただ私は、今回国語B、算数Bがほぼ点数が取れない結果になったとしても、それは学習をどんぐりのみにしていた結果ではないと考えています。

        逆にこの凹みの部分を平均に持っていくための学習に躍起になっていたり、せめて宿題だけでも人並みに・・と考えて必死になっていたとしたら、今頃おまめくんの心は死んでしまっていたということは確信を持てるので。

        なので、我が家が学習方法にどんぐりを取り入れたことはとても良い選択だったと考えているし、こんなおまめくんが学習というものに対して大きな劣等感を抱かずにここまで来ることができたことが、何より大きな成果だと思っています。

        改めて考えてみると、我が家のどんぐりの意味はそこにあるんだ思いました。

        (テスト結果が悪いのはどんぐりを正しく取り組んでないからだ!!と言われたらどうにも返しようがないですが・・。どんぐりを何のために取り組むか、どんぐりに何を求めるかも、人ぞれぞれ、家庭それぞれでいいのでしょう^^)

         

        いろいろおまめくんの困難さが浮き彫りになった今回の学力テスト。

        ある意味無料で受けられてありがたいかも。

        今後も、様々な困難に立ち向かわないといけないであろう、おまめくん。

        まずはディスレクシアの診断してもらえることから社会が変わっていけばいいのだけど・・・多分おまめくんが学生のうちは無理だろうな〜。

         

         

         

        夢でどんぐり(私の話)

        2018.04.05 Thursday

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          おまめくんの話ではなくて、自分のことなのですが書き留めておこうかなと思います。

          またまたloveさんのブログの記事、2mx77不調&ひらめきでもコメントを入れさせていただいたのですが、私自身、どんぐりに取り組んでいて答えが出ないまま終わったものを、その夜に夢で見て答えまで出たということが何度かあります。

           

          loveさんのコメントで、「私は過程も覚えていたけど」と書いていましたが、よく思い出して見たら4mx21の場合は過程が曖昧でした。

          そういえば中途半端な絵と答えだけ覚えていて、その絵の根拠が実は分からないままだったのでした。

          loveさんにコメントを入れた後に思い出して、色々と考えておりました。

           

          取り組んだのは3年くらい前でしたが、私は角度ということは思いつきませんでしたが、8時40分以降なるだろうから、スタートを8時40分にして考えて、そこから何分後かを考えていたのでした。

          計算で解くという意味もよく分からなかったので、絵に描いて試行錯誤し、その日には答えがでなくて続きを今度にしようと思って寝たところ、朝方どんぐりに取り組んでいる夢を見て、起きた時には次のような絵図と答えを覚えていました。

          8時40分から考えていたので、3と7/11分後という答えは出ているようなのですが、この40の意味がよく分からないままだったんですね、今思い返してみると。

          40分の40だとつじつま合わないしな〜なんだっけな〜???といった感じではありましたが、「まあいいか」と、答えは合っていたしそのままにしてしまってました。

           

          で、その出来事を思い出したタイミングで先日のおまめくんの4mx21の取り組み。

          一緒に解いたわけではなく、同じ部屋でおまめくんの取り組みを見ていただけではありましたが、その日の夜(正確には明け方)にまた夢で時計問題を解いていて、今度は過程もしっかり覚えていてその理由がやっと分かりました。

           

          次の絵図の通りです。

           

          スタートが8時40分なので、短針は8〜9の時計の数字の2/3まで進んでいると考えた。

          なので短針は、時計の8〜9の数字を60分割した2/3の、40のところからスタートしていたのです。そうか、その40だったんだ!!!

          時針は短針の12倍のスピードで進むので、1分で縮む距離はこのメモリで11メモリ。

          40メモリを縮めるには3と7/11分、ということだったのでした。

           

          今回改めて過程を意識することができて、答えだけ分かるということよりも、過程を意識することにこそ面白みがあることを実感しました。

          まあそれが夢の中というのが微妙なのですけども。実際に書いてわかったらその喜びも違ったのだろうなあ。

          しかし、今回は覚えているうちにしっかり書き留めて、過程を意識しました。

           

          こうして絵図に書いて具体的に見てみることで、自分の思考の過程を意識をすることができます。

          子どもの取り組みの中でも、頭でわかっていることでも絵図化して、見て意識して考えることがやっぱり基本中の基本なのだな、と思った出来事でした。

           

          夢で見るという現象は面白いことではあるけれど、いつでも夢で答えを出してくれるわけではないし(笑)。(自分としては過程がわかってスッキリでしたけども)

          結局は考え続けているから夢に出てくるというなのだろうから、実際に絵図で試行錯誤して考えるという行為がやっぱり大事なのでしょうね。

          無意識での思考やひらめきは、具体的に意識した思考がないと始まらないということですね。

           

          最近のおまめくんの取り組みは、思考の参考になる絵図は描くものの、それを見て頭の中で計算のきっかけになる絵図を動かしているのだろうと思うので、頭の中で動かしているであろう絵図を、実際に描くことでしっかりと意識して取り組んでもらえたらいいなと思います。

          どこまでおまめくんに伝えられるかな〜。

           

          とにもかくにも、過程を意識して絵図化すること、この部分を大事にしてしっかり伝えていきながら、残りの1年のどんぐりの取り組みを進めていきたいと思っています。

           

          おまめくんが語るどんぐりと脳の変化(まとめ)

          2018.03.20 Tuesday

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            ※追記

            このシリーズの記事、一旦非公開にしましたが、公開に戻しました。

            私の推測ということを踏まえた上で、おまめくんの言葉はそのまま書いています。もう消さないのでリンクも大丈夫ですが、リンクをした時はコメントいただけると嬉しいです。

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            この記事でまとめます。

             

            小脳思考の話に戻して考えてみます。

             

            レオンくんのブログより引用(loveさんのブログでも引用されておりました部分です)

            <Hybrid_Brain_as your willの養成>という非常に優れた健全な頭が育つ場合があるのです。*実は、全員がこうなる可能性があるのですが、始める時期(やはり、年長さんからが効果が大きい)とか、親の覚悟の深さ(知ってても、やってても、中途半端になっている)とか、様々な阻害要因がありますので、一律に「こうなる」とは言えませんが、実は真の目的の一つです。何故なら、天才も学習障害時も同時に同じ方法で救えるのです。この辺の説明はちょっと複雑なのでPILOTに譲ります。

             

            私は、loveさんのブログのコメントにも書かせていただきましたが、以前レオンくんのこのブログを読んだ時に、この文章の「天才も学習障害児も同時に同じ方法で救える」という言葉に惹きつけられました。(しかしパイロットは受講してませんが・・・。もちろん私は、天才の方じゃなく学習障害児の方で反応してます。)

            Hybrid_Brainは、豪華なおまけとした上で、実は真の目的の一つともある。この方法で救えるのだとある。

             

            天才(?)や学習障害と言われる少数派の脳の特性を持っている子どもたちを救うことが、真の目的の一つとして掲げらているのか。どんぐりは、なんて深いのだろう。

            この一文を読んだ時に、そう思ったのでした。

             

            おまめくんを見ていて、本当に感じ方が敏感?で、外からの影響を受けやすいタイプなのだなあと感じています。

            この特性そのものは悪いものではないはずなのに、使い方を誤ると脳がコントロール不能な状態にあったり、外部の影響を受けやすかったりしてしまうと思います。

            小脳思考を選択的に利用するコントロール方法を身につけることで、まさにおまめくんの場合は「救われる」のだろうと感じました。

            これを偶然手にするのはなかなか困難ですが、どんぐりという方法があるということが、革新的なのだと思います。

             

            そして、どうしても自分の子どもが学習障害という少数派の脳質なのでこういう方向に関心がいくのですが、定型発達と呼ばれる子どもたちにとっても良いものであることは言うまでもありません。

             

            私がこれまでの4年間の取り組みの中で、おまめくんの様子がいつもと違った(おそらく小脳思考なのでは?)と感じたときの取り組みは、難しい問題だった場合がほとんどです。

            そしてその時には、自分の描いた絵を「じ〜〜〜っ」と眺めていることが多いと思いました。

             

            絵図をじっと見ること(できるだけ全体を見るのが良いのではないかと思う)、その際ヒントを与えられないこと(できるだけ静かな状態がいいかもとも思う)、ここが大事なのではないかと思っています。

            この「じっと見ている」時には、おそらく意識であれこれ考えているわけではなく、無意識の領域で解法を探しているのではないかと、これまでの取り組みの様子を振り返って思いました。(2MX32はちょっと特殊ですが)

            そしてどんぐりをしていると、誰でも多かれ少なかれそれは起こっていて、それを自分でコントロールできるようになるかどうか(自分の意思でその状態に自在に持っていくことが出来るかどうか)は、豪華なおまけの部分なのかもしれません。

            (けれども、絵図をじっと眺める状態になれなかったり、見ている時に話しかけたりヒントを言ってしまったりしては、なかなかその状態には入れないだろうとも思います。そして、学年にはふさわしくないくらいの難問は、あえて取り組むべきなのかもしれません。解ける解けないは関係なく、新しい思考回路を作るという理由だけでもなく、その状態に持っていけるかどうかのための問題かもしれないと思うからです。)

             

            おまめくんに関して言うと、自分の意思でその状態に持っていってるわけではないので(6MX04は自分で意識してアクセスしたと言ってはいるもののまだ不明)、Hybrid_Brainを手に入れたとは言えないのだと思います。

            それでも、本人曰く、「もう1人の自分」はとても芯のある「しっかりした自分」であり、信用出来る存在なのだと言うこと。

            信用出来る「自分」の存在を感知することで、その後の人生も自分という芯を持って歩いていけるのではないかということ。(おまめくん本人が言っている)

            これが、どんぐりでいう「自分自信を信じる力、本当の自信」ということなのではないのかな、と考えたりしていました。

             

            そして、Hybrid_Brainはやっぱりあくまでも「豪華なおまけ」なのでしょう。コントロールできるに越したことはないけど(特にうちの子みたいな危なっかしいタイプはコントロールできればいいなあとは思うけど)、そうでなかったとしても、どんぐり問題への取り組みの過程で得られるこの「自分自信を信じる力」を実感することが大事で、それは取り組んでいく中で積み重なっていくものなのだと思うのです。

            一問一問の取り組みの中で、どんぐりに向かっている子どもはきっとそれを体感しているのではないか思います。

             

            ということで、これまでに語ったおまめくんの不思議発言も書いてしまってスッキリしました。(あまりにも変な話で誰にも打ち明けられなかったのに、ブログで書いちゃった。おまめくんの了解は得ています)

            さて、ビッグバンは起こるのか?(笑)

            今も脳のインフレーションは継続中とのことで。(本人曰く、です。)

            どうなるかはわからないし、どうなるかが気になることもなくなっている最近ですが、やっぱりどんぐりは奥が深いし、こんな風にぐるぐると考えることがたくさん出てきて面白いな〜、と改めて思った次第です。

             

            そんなこんなで長くなりましたが、おまめくんの語った脳のお話しを終わります。

            全部読んでいただいた方がいらっしゃればありがとうございました!!

             

            あと1年、どんぐりを楽しく取り組んでいきたいと思っています^^/